ビジネス関連のことを徒然なるままに…

ビジネスidiomを日常社会人生活と絡めながら1つずつ例文で使っていこうと思います。

「ユダヤ人大富豪の教え: 幸せな金持ちになる17の秘訣」読書メモ

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ユダヤ人大富豪の教え: 幸せな金持ちになる17の秘訣

・「普通の人は、『人からもらえるもの』にしか興味がないのだ」
私は、どうしても待ってしまう。受動的ではなく能動的でなければという思いはあるものの、実際自ら動こうと思うと尻込みしてしまう自分がいる。
『人からもらえるもの』というのは、どう頑張っても限りがあると思う。そして自分が本当に欲しいものが下りてくるという確証はほとんどない。楽をしたいがために人から与えてもらっていると、知らず知らずのうちに『人からもらえるもの』の中に『自分が欲しいもの』『自分がやりたいこと』があると勘違いしてしまいかねないと思う。
待たずに自分から取りに行こう、自分で欲しいものは手に入れよう。そう、改めて思っている。

 

・「自分が働かなくてもお金が入ってくるようになればお金持ちの仲間入り」
5年くらい前に会った10歳ほど年上の方がこんなことを話していた。
「僕の知り合いのセールスマンで社内トップの成績をずっと取り続けている人がいるんだけど、その人はもう営業活動は全くしてないって言ってた。一度彼の顧客になった人はずっと彼の顧客で居続けるし、その顧客が周囲の人に彼の話をして、芋蔓式に勝手に顧客が増えていっているから、彼は顧客と世間話をしていればそれで良い。自分が働かなくても顧客が顧客を生んでくれるし、世間話をしていれば勝手にトップセールスの座を維持できているらしいよ。」
本書でも同じようなエピソードがほかの章で描かれていたと記憶しているが、この話も一種の「自分は働かなくても自動的にお金が入ってくる」システムの一つだと思う。
ビジネスオーナーになってお金が自動的に入ってくるシステム作りをして、上手に稼ぎながら趣味の部分の勉強や活動をしていきたいと思っている私は、まず初めにこのシステムを、物理的か否かにかかわらず、体現する必要があるのではないかと思っている。

 

・「お金の流れを作る」
私は超絶なケチだと思っているし家族にもそのように言われることが多い。しかし、本書ではお金を水に喩え、水の流れを止めてしまうとじきに澱んでしまい、最終的には悪循環に陥ってしまう、と警鐘を鳴らしている。
その通りであると思うのだが、やはり目先のことばかり考えてしまい、有効的にお金を使う、ということができない。ケチもほどほどに。私の目下の大きな課題である。

 

・「夢を追いかけるのを忘れて、安定した人生を選んだ人間は、言ってみれば『退屈な人生を生きる終身刑』を自らに課しているのに等しい。」
日本は特に終身刑に向かって(もしくはすでに終身刑を言い渡されながら)いそいそと働き続けている人が多いと思う。私の会社でも、日々何をやりがいに会社に来て遅くまで神経をすり減らしながら仕事をしているのか、分からない人が多い。
かく言う私も、微々たる残業代をせっせと稼ぐために残業したりしているのだが、最近は早めに帰ってほかの事に時間を割こうと考えを改めた。次のキャリアに向けた準備を始めていく方が有効的な時間の使い方ではないかと思う。


・「『得意なこと』と『大好きなこと』を混同しており、得意なことをやるときにはワクワクした高揚感に包まれる。しかし隠された動機は『大物に見られたい』『人生を生きる躍動感を感じたい』というもの」
私はまさに「混同していた」と思う。
私は外国の人と外国語で話すとき、特に周りにその言語が十分に話せない人がいるときに「ワクワクした高揚感」を感じていた。その「高揚感」「自負心」「優越感」を感じる事象が「好きなこと」だと思い込んでいた。
しかし本書からはこれが間違っていると指摘された。今までの常識を全てひっくり返された気分である。
さて。
私の「大好きなこと」は果たして何なんだろうか。本書では「幼少期には何が好きだった?」と自分を見直してみろ、「大好きなこととは得意なことよりもっと静かで情熱的なもの」などと言っているが、今のところ心当たりが全くない。
今こそ本当の自己分析をするべきタイミングなのかもしれない。

 

・「人生を信頼する」
これはとても難しいことだと思う。
特に悲しいことや不安なことが続いた時には、「きっと私にはできない」「どうせこういう人生なんだ」とどうしても思ってしまう。人生にはサイクルがあると本書でも言っているが、ダウンサイクルの時にダウンサイクルだと気付けるか、そしてアップサイクルが来ることを自信をもって信じることができるか。これが「自由人」になれるか否かに大きく影響するのではないかと感じている。